甲子園最終戦のとなった阪神タイガース−横浜ベイスターズの試合。
8回まで、久保は村田のホームランによる1失点の好投。
打線も9安打で3得点。
そして、9回には藤川球児が登板して、あとは2アウトから矢野がキャッチャーマスクかぶって・・・
もう、ほとんど勝ったつもりで試合を見ていた。
しかし・・・
藤川の調子が良くない。2者連続ファーボール。
そして、村田に逆転3ランを浴びてしまった。
これで、矢野が出る場面はなくなってしまった。
2アウトから出すつもりだったと思うけど、勝たないといけない状況では、仕方ないことでしょう。
その後は何とか抑え、その裏は関本、マートンが連続ヒットを放ったが、平野はショートゴロで試合終了。
4−3でベイスターズが勝ち、これによりタイガースの自力優勝はなくなり、ドラゴンズに優勝マジック1が点灯した。
勝ち試合を落としたのは痛い。
でも、たまにこういう試合もある。それが今回だったと言うこと。
何が悪いとか、誰が悪いとか、私は責めるつもりはありません。
今までこういう試合をして勝ってきたのだから、仕方ないです。
責任追及するほどの余裕なんてないです。
これまで通り、タイガースを応援するだけ。
ファンにできることはそれしかないです。
そして、矢野燿大捕手の引退セレモニーが行われた。
「感謝、感謝、感謝」
「第2の人生の出発」
残念ながら、引退試合となる今日の試合は出場できなかったが、この言葉で救われたような気がした。
矢野は1991年に中日ドラゴンズに入団。当時は、巨人に入団したかったらしいが、果たせなかった。
ドラゴンズでは、初ヒット初ホームランという輝かしいデビューを果たしたが、正捕手の座を獲得できず、
毎年のように引退の危機が訪れていた。
1998年にトレードで阪神タイガースへ移籍。ここから、タイガースの正捕手としての活躍が始まった。
矢野の入団時は、タイガースの低迷期。野村監督時代に3年連続最下位という屈辱も味わった。
そして、2003年と2005年のリーグ優勝に大きく貢献し、矢野はタイガースに欠かせない存在になっていた。
昨年に、故障によりレギュラーから外れることが増え、2軍に甘んじることがあったが、それでも矢野の存在は大きかった。
20年間、本当にお疲れ様でした。
いつか、指導者としてユニフォーム姿で復帰されることを期待してます。